August 26, 2007

気づきのワークの有効性と危険性

物事を学ぶとき必ず気づくというプロセスがあります。

でも、気づくということ自体は新しい知覚を使うためにとても学びになるんですが、

その新しい学びを意図的に作られていたら・・・。

今までのゲシュタルトを壊すこと。これが気づきの第一歩です。

でも、壊されたゲシュタルトをもし、誰かの意図をもって
再構築されたとしたら、それってどう?

新しい感覚や出来事を体験したとき、それをどうにか
解釈して安心しようとします。

そのままの状態を楽しむことができるようになれば、
もっと本質的な学びになるのですが、
そこまでの学びの前に不安という感情がやってきます。

それを処理するために、新しい考え方のフレームをつくりやすくなります。

そうすることで、新しいゲシュタルトが再構築されちゃうんです。
これは学びではなく、すり替えなんだけど。

でも、新しいことには変わりないわけで。
そのとき、どの方向性に行きやすいか?
どうしても、感覚的に気持ちいい方向、心地よい方向に行きやすい。
でも、気持ちいいって本当に必要な方向。
ルシファーは
気持ちいい方向に行ってしまったばっかりに堕天使になっちゃったんだよ。
もともと大天使だったのにね。

気持ちいい、心地よいって感覚にだまされないでね。
だって、ドラックだって気持ちいいでしょ。
SEXの100〜1000倍以上の快楽(ドーパミンの分泌)が得られるんですよ。

気づくために何かが必要ってワーク自体、気をつけてね。
それは新しいフレームにするための道具かもしれないから。

気やエネルギー調整ワークなんかもそうです。
エネルギー、気という新しい知覚になりうる概念のすり替えかもしれないから。
気もエネルギーもあるけど、
それはゲシュタルトを変えなくてももともと感じているもの。
知っているものなんですよ。
だって、それがないと今、ここに
生きていないのだから。

restore_neutral_line at 00:15 │Comments(0)TrackBack(0)この記事をクリップ! セ ッ シ ョ ン (治 療)  | 学ぶとは

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