May 18, 2007

学校に行かない?いけない?どっち?

少しだけ、不登校について時々、書いています。

不登校と一括りにするのはちょっとムリがあるような気がします。

簡単に言っても、
“学校に行かない”のと“学校に行けない”のは違いますよね。
選択心理学的にはどちらも行かないって選択しているのかもしれませんが・・・。

“行かない”って決めた理由はなんでしょうか?
そのことがとても大切ですね。
行かないって理由、その方なりの考え方、なにかしらがあるんですね。

そこに、両親の関係もかなり影響します。
もし、母親が、子供の面倒を見ることだけが生き甲斐だと思っていたとしたら、
「子供の面倒を少しずつ見れなくなる=子供の成長、親離れ」という
とても素晴らしい、ことなんですが、
面倒を見ることに母親が自身の存在価値や生き甲斐を見いだそうとしていたら、
「子供の面倒をすこしずつ見れなくなる=自分の生き甲斐が減る、存在がなくなる」
になるんです。
そうすると、いつまでも、自分が面倒見ないとだめっていうように、
子供をコントロールし始めます。

それに反抗する形で、不登校、引きこもりって起こったりもします。
親からのコントロールに対して、
もしかしたら、精一杯の抵抗をしているのかもしれません。

それが、非行とも関係するでしょうし、
最近の、リストカットや、薬物依存にもつながるのかもしれませんね。
中高生の不眠症がかなり多いと聞きます。

親のコントロール下にない、自分自身を作ろうと必死なのかもしれませんね。
自分自身を守る為に・・・。

“行けない”理由もなんでしょうか?
そこにもなんらかの理由があります。
でも、たぶん、大人には言いません。

どちらの理由も大人には言いません。

どうしてか?大人の対応をされるからです。
「大人の対応って、どういうこと?」って、思われるでしょう。

それは、
「それぐらいの事で・・・」
「そんな弱いこと言ってたら・・・」
「私たちの頃は我慢して・・・」
「人生の中で、もっと辛いことがいっぱいある。それぐらいのことで・・・」
「そんなことばかり言って、ただ、したくないだけでしょ。」
「わがままなだけでしょ。」
あげくの果てには
「そんな子に育てた覚えはありません。」って言われたり、
「お友達の○○ちゃんを見習いなさい。」

私たちの子供時代と今の子供時代は全然違いますよ。
誰でも、弱いですよ。
でも、強い部分も持っていますよ。
身体も心も弱っている時には、強くなれって言ってもムリですよね。
風邪ひいて、熱があっても私は元気だって言えますか?

学校に行くことが前提でお話をすると、大人の対応なんですね。
学ぶってことはいつでも出来ること。
いつから、初めても遅いってことはないです。

だから、どこにスタンスをおいて話を聴くか?ですね。
何かトラブルが起きた時、大人の対応で、上手くいくのは
大人の対応で、物事をごまかせる時かもしれませんね。
本当に心も身体も向き合わせる時、
違う対応になっているのかもしれません・・・。

restore_neutral_line at 08:00 │Comments(0)TrackBack(0)この記事をクリップ! 学ぶとは 

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