June 22, 2006

きっかけ2

小さい頃、両親が離婚した。小学一年の頃に両親がけんか別れで別居。
それまで、喧嘩が絶えなかった。
コントロールをしようとしていた結果である。

そして、小学4年まで調停。
最終調停には私も意見を言いに
家裁の調停員の方に会いに行った記憶がおぼろげにある。
初めて、裁判所に行った。
それまで、母と子供の私の苗字が違っていたが、
母も少し神経症があった(今振り返れば)ので、
戸籍は私は旧姓のままだったが、呼び名は母親の姓になった。

学校の出席番号は旧姓(「う」で始まる)で、
呼び名は無理矢理、母親の姓(今の性「ひ」で始まる)という、
奇妙な小学校時代だった。
明らかに姓と出席番号が違っていた。
出席番号3番なのに・・・って感じだった。

これはかなりの劣等感になったかもしれない。
それが、兄の今の症状の根底にあるかもしれない。

私はその劣等感を跳ね返す為、ひたすら勉強だった。
もともと、学ぶ事がすきだったので、それが唯一の逃げ道だったのだろう。
学問だけは、努力がそのまま反映して、目に見えてわかりやすかったから。
それに、それだけは、自分を裏切ることはないモノだと思っていたから。

スポーツは高校までさせて貰えず・・・

高校になってサッカー、
社会人で趣味でやっていたバスケを本格的にやるようになる。
リーグにも入れて貰う。

サッカーで膝を痛めた。その事で、メスを入れた。
これから、自分の身体への探求が始まった。

どうにかメスを入れずに治らないか・・・。
その時、運が悪かったのだろう。
その時出逢った身体の学びでは治す事ができなかった。

今なら、メスを入れなくても治せる方法をいくつも知っている。

でも、その時はメスを入れた。
今思えば、これもいい経験だ。
ストレッチャーにのったのも、リハビリしたのも、
腰椎麻酔をしたのも・・・、
途中で麻酔切れて最後の縫合は針刺すたびに痛かった(>_<)
皮膚の癒着がどれだけ身体に影響するか身を以て体験した。

今の身体を扱うのにとても役に立っている。

その探求の先には心が待っていた。

心と体は繋がっている。
「身心一如」「心身一如」ですね。

これにようやくたどり着いた。


restore_neutral_line at 01:30 │Comments(0)TrackBack(0)この記事をクリップ! セラピストというきっかけ 

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